高齢者・要配慮者の災害時リスク予測:自治体におけるデータ活用と避難支援への応用
はじめに:災害時における高齢者・要配慮者のリスクと予測の重要性
大規模災害発生時、高齢者や障がいをお持ちの方、乳幼児、妊産婦など、自力での避難が困難な「避難行動要支援者」を含む要配慮者は、特に高いリスクに直面します。避難が遅れたり、孤立したりするケースが多く、その結果、犠牲となる割合が高いことが知られています。
自治体にとって、これらの住民の方々をいかに安全に避難誘導し、必要な支援を届けるかは、防災計画における最重要課題の一つです。しかし、対象となる方の情報は多岐にわたり、刻一刻と変化する災害状況下で、誰にどのような支援が、いつまでに必要になるかを正確に把握・予測することは容易ではありませんでした。
近年、情報技術の進展により、高齢者・要配慮者の災害時におけるリスクをデータに基づいて予測する技術が注目されています。本稿では、このリスク予測技術が自治体の防災実務にどのように応用できるのか、具体的なデータ活用方法や導入における考慮事項について解説します。
高齢者・要配慮者の災害時リスク予測とは
高齢者・要配慮者の災害時リスク予測技術は、個人や地域が抱える脆弱性情報と、発生しうる災害のハザード情報を組み合わせることで、特定の地域や個人がどのようなリスク(例:避難困難、孤立、健康悪化、特定の支援ニーズ発生)に直面する可能性が高いかを事前に、あるいは発災直後に予測するものです。
この予測には、主に以下のようなデータが活用されます。
- 住民データ: 住民基本台帳、高齢者台帳、障がい者手帳情報、要介護認定情報など(年齢、住所、家族構成、日中の活動状況、医療・介護ニーズなど)
- ハザードデータ: 想定される浸水深、液状化リスク、土砂災害警戒区域、建物の耐震性情報、インフラ(道路、ライフライン)の脆弱性情報など
- 環境データ: 地域の傾斜、主要道路からの距離、避難所までの距離・経路、公共交通機関の利用可能性など
これらのデータをGIS(地理情報システム)などを活用して重ね合わせ、機械学習や統計モデルを用いて分析することで、例えば「河川氾濫時に浸水深Xmが想定される区域に居住する、一人暮らしで要介護度Yの高齢者が、Z時間以内に安全な場所へ避難できる可能性」や、「地震発生時に建物倒壊リスクが高い区域に居住する、特定疾患を持つ方の、発災A時間後の医療ニーズ発生確率」といったリスクを推定することが可能になります。
自治体防災における具体的な応用とメリット
このリスク予測技術は、自治体の防災実務において多岐にわたる応用が考えられます。
1. 避難計画の高度化
- 個別避難計画の効率化: 要配慮者名簿情報にリスク予測結果を組み合わせることで、特にリスクが高いと予測される方を優先的に個別避難計画策定の対象とする、あるいは必要な支援内容(人的支援、移送手段など)を事前に検討する際の重要な判断材料となります。
- 福祉避難所の配置・規模計画: 想定される災害シナリオごとに、どの地域でどの程度の要配慮者が発生し、どのようなニーズ(車椅子対応、医療的ケアなど)が必要になるかを予測することで、福祉避難所の最適な配置場所、必要な規模、開設タイミングを事前に検討する際に役立ちます。
- 避難誘導体制の整備: リスクの高い地域や要配慮者が多い地域を特定し、地域の自主防災組織や民生委員、福祉関係者などと連携した避難支援体制を構築する際の根拠となります。
2. 発災時の迅速な対応
- 安否確認・避難支援の優先順位付け: 発災直後、被害状況とリスク予測結果を組み合わせることで、緊急に安否確認や避難支援が必要な個人・地域を特定し、限られた人員・物資を効果的に配分することができます。
- 必要な物資・サービスの準備: 想定されるニーズ(医療、介護、特殊な食料など)を予測することで、避難所や福祉避難所に事前に必要な物資や専門職(医師、看護師、介護士など)を迅速に手配する準備を進めることができます。
3. 地域のリスクコミュニケーション
- ハザード情報と個人リスクの関連付け: 住民に対し、単にハザード情報を示すだけでなく、「あなたの居住地域では、この種類の災害が発生した場合に、あなたの属性を考慮すると、このようなリスクが想定されます」といった形で、よりパーソナルな情報を提供することで、防災意識の向上や主体的な避難行動を促す可能性が期待できます。
導入にあたっての考慮事項とハードル
高齢者・要配慮者の災害時リスク予測技術を自治体で導入・活用する際には、いくつかの考慮事項があります。
1. 必要なデータの整備と連携
- データの網羅性と正確性: 予測精度は、活用するデータの網羅性、正確性、鮮度に大きく依存します。住民基本台帳、高齢者・障がい者情報、要介護認定情報など、複数の部署が保有するデータを連携・整備する必要があります。データの更新頻度も重要な課題です。
- 個人情報保護: 住民の機微な情報を取り扱うため、個人情報保護法や関連ガイドラインを遵守し、適切なデータ管理体制、アクセス権限設定、匿名化・仮名化処理などを徹底する必要があります。関係者へのセキュリティ教育も不可欠です。
2. システム・体制
- システムの選定とコスト: リスク予測を行うためのシステム(GISベースの分析ツール、データ統合・管理システム、予測モデル構築ツールなど)の導入にはコストがかかります。クラウドベースのサービスを利用することで、初期投資を抑えたり、運用負荷を軽減したりできる可能性があります。導入だけでなく、継続的な運用・保守にかかる費用も考慮が必要です。
- 専門人材の確保: データ分析やシステム運用に関わる専門的な知識を持つ職員が必要となる場合があります。外部委託や既存職員への研修、関係機関(大学、研究機関、民間企業)との連携も視野に入れると良いでしょう。
- 部署間の連携: 福祉部局、保健部局、情報システム部局など、関係部署との密接な連携が不可欠です。データ共有の仕組み作りや、予測結果をどのように各部署の業務に活かすかの具体的な取り決めが必要です。
3. 予測の限界と活用方法
- 予測は「可能性」を示すもの: リスク予測はあくまで可能性を示すものであり、断定的な未来を示すものではありません。予測結果を過信せず、他の情報(気象予報、河川水位情報、現場の状況など)と組み合わせて総合的に判断することが重要です。
- 「外れ値」への対応: モデルで予測しきれない個別の事情を持つ方への対応も考慮が必要です。予測結果は、あくまで支援を必要とする可能性のある方を効率的に見つけ出すための「スクリーニングツール」として捉えるのが現実的です。
導入事例(仮):A市の取り組み
(架空の事例として記述します)
A市では、南海トラフ地震発生時の津波浸水と高齢者の避難困難リスクが高いことが課題でした。そこで、市が保有する高齢者台帳、要介護認定情報、福祉サービス利用情報と、県の津波浸水想定区域データ、市の建物データ、道路網データを統合・分析するシステムを導入しました。
このシステムにより、「要介護度が高く、自宅が津波浸水区域内の木造建築にあり、かつ近隣に支援者がいない高齢者」といった、複数のリスク要因を持つ個人を特定できるようになりました。
A市では、この予測結果を基に、リスクの高い方から優先的に個別避難計画策定の対象とし、民生委員や地域の自主防災組織と連携して、きめ細やかな聞き取りと計画作成を進めています。また、予測されたニーズ(医療的ケアが必要な人数など)に基づき、福祉避難所の受け入れ準備や、災害時における医療・介護関係者との連携体制強化にも取り組んでいます。
導入にはデータの整備や個人情報保護の課題がありましたが、福祉部局と防災部局が合同でプロジェクトチームを立ち上げ、専門家の助言を得ながら進めました。これにより、限られたリソースの中で、本当に支援が必要な方へ効果的にアプローチできる体制が構築されつつあります。
まとめと今後の展望
高齢者・要配慮者の災害時リスク予測技術は、多様なデータを活用することで、自治体の避難計画策定や発災時の迅速な対応において、非常に有効なツールとなりえます。個別避難計画の効率化、福祉避難所の適切な準備、安否確認・避難支援の優先順位付けなど、その応用範囲は広く、実務への貢献が期待されます。
一方で、データ整備、個人情報保護、システム導入・運用コスト、専門人材の確保、部署間連携といった導入ハードルも存在します。これらの課題に対し、他の自治体の事例を参考にしたり、外部の専門機関や企業と連携したりしながら、段階的に取り組んでいくことが現実的なアプローチと考えられます。
予測技術は日々進化しています。今後は、より詳細な個人属性データ(同意を得た上での健康情報など)、リアルタイムの位置情報データ(見守りセンサーなどからの情報)、さらには気象情報やインフラ状況の変化などを組み合わせることで、予測精度やタイムリーな情報提供能力がさらに向上していくことが見込まれます。
自治体防災担当職員の皆様にとって、このリスク予測技術が、地域における高齢者・要配慮者の安全確保に向けた新たな選択肢となり、より実効性の高い防災対策の推進につながることを願っております。