人流データが拓く発災直後の避難状況予測:自治体防災の実務への応用と活用ポイント
発災直後の「見えない動き」を捉える人流データの可能性
災害が発生した直後、住民の皆様はそれぞれの状況に応じて避難行動を開始します。しかし、自治体の防災担当職員の皆様にとっては、その刻一刻と変化する住民の動きや、道路の混雑状況、避難所の受け入れ状況などをリアルタイムで把握することは、非常に困難な課題です。既存の監視カメラや定点観測では、状況の全体像を捉えるには限界があります。
こうした中で、近年注目されているのが「人流データ」の活用です。人流データとは、スマートフォンなどの位置情報サービスや携帯電話基地局の情報などを基に、人の位置や移動を匿名化・集計したデータです。この人流データを分析することで、発災直後の住民の広域的な動きや、特定の場所への集中、道路の混雑といった状況を推定することが可能になりつつあります。本稿では、この人流データが自治体防災の実務にどのように応用できるのか、その可能性と活用にあたって考慮すべきポイントについて解説します。
人流データで何がわかるのか?自治体防災への応用範囲
人流データ分析によって、発災直後の混乱した状況下においても、以下のような情報を推定し、防災対応に役立てることが期待できます。
- 広域的な人の移動状況の推定: 特定エリアからの人の流出入、主要な避難ルートの利用状況などが把握できます。これにより、どの方向への避難が多いか、どのエリアに人が留まっているかといった傾向を掴むことが可能です。
- 避難所や公共施設への人の集中の推定: 避難所にどれくらいの人が集まっているか、一時的な避難場所として利用されている施設があるかなどを推定できます。これにより、避難所の混雑状況を把握し、他の避難所への誘導を検討する判断材料となります。
- 主要道路や経路の混雑・ボトルネックの推定: 人の移動速度や密集度から、主要な避難経路や輸送経路の混雑状況を推定できます。これにより、通行が困難な場所や時間がかかる場所を特定し、迂回ルートの指示や注意喚起を行う判断材料となります。
- 取り残されている可能性のあるエリアの推定: 特定のエリアからの人の移動が少ない場合、住民が避難できていない、あるいは孤立している可能性を推定できます。救助・救護活動の優先順位付けに役立つ情報となり得ます。
これらの情報は、避難指示・誘導のタイミングや方法の見直し、避難所運営計画の調整、緊急車両の最適ルート検討、救助活動が必要なエリアの絞り込みなど、多岐にわたる自治体防災の実働対応に活用できるポテンシャルを秘めています。
導入に向けた考慮事項と実務上の課題
人流データは強力なツールとなり得ますが、その活用にあたってはいくつかの考慮事項や実務上の課題が存在します。
- データの入手方法とコスト: 人流データは、主に通信キャリアやデータ分析専門の事業者から提供されます。データの提供形式や頻度、分析ツールの有無、そして導入・運用にかかるコストは事業者によって異なります。まずは複数の事業者から情報収集を行い、自治体の予算やニーズに合ったデータ提供モデルを検討する必要があります。継続的なデータ利用にはランニングコストがかかる場合が多い点も考慮が必要です。
- データの精度と特性の理解: 人流データはあくまで推定値であり、データの取得元(スマートフォン利用者の割合、特定のキャリアのユーザー分布など)によるバイアスが含まれる可能性があります。また、データの粒度(どの範囲のエリアで集計されているか)や更新頻度も事業者によって異なります。これらのデータの特性を理解し、その限界を踏まえた上で活用することが重要です。
- プライバシー保護への配慮: 提供される人流データは、個人が特定できないよう匿名化・集計処理がされています。しかし、住民の中には位置情報が防災目的で利用されることに懸念を持つ方もいるかもしれません。データの収集方法やプライバシー保護への配慮について、住民への説明責任も念頭に置く必要があります。
- 既存システムとの連携と分析体制: 入手した人流データを、既存のGIS(地理情報システム)や防災情報システムと連携させることで、他のハザード情報や施設情報と重ね合わせてより高度な分析が可能になります。しかし、システム間の連携には技術的な調整が必要です。また、データを読み解き、防災判断に活かすためには、データ分析の基礎知識や経験を持つ人材、あるいは外部専門家との連携が必要となる場合があります。
- 法的な位置づけと活用範囲: 人流データを防災対応に活用するにあたり、個人情報保護法などの関連法規との関係性、そして災害対策基本法などに基づく自治体の権限との整合性について、専門家への確認を含め整理しておくことが望ましいでしょう。
導入事例(仮)と今後の展望
例えば、沿岸部に位置するある架空のA市では、地震・津波発生時における住民の避難行動を把握するため、データ事業者と連携し人流データを活用する実証実験を開始しました。過去の訓練時データや、実際の避難行動に関するヒアリング調査結果と照らし合わせることで、人流データから推定される避難ルートや避難所の混雑状況の妥当性を検証しています。将来的には、発災直後の混乱期に、リアルタイムの人流データを基に、より効果的な避難指示の発令や、混雑を避けた避難経路の推奨、救助が必要な可能性のあるエリアの特定に役立てることを目指しています。
また、山間部の架空のB町では、土砂災害発生時の孤立集落対策として、人流データを活用した取り組みを検討しています。特定の集落からの人の移動が見られない場合に、早期に孤立の可能性を察知し、安否確認や救助活動の優先順位付けにデータ活用できないか、データ事業者と協議を進めています。
人流データは、まだ歴史の浅い防災活用分野ではありますが、発災直後のリアルタイムな状況把握という、自治体防災にとって長年の課題であった領域に新たな光を当てる可能性を秘めています。まずは、関係部署や情報システム部門と連携しながら、人流データがどのような情報を提供できるのか、自らの自治体の防災課題に対してどのように応用できそうか、情報収集やデータ事業者との対話から始めてみることも一つの方法でしょう。技術の進化とデータ活用のノウハウ蓄積により、人流データは今後さらに自治体防災の実効性向上に貢献していくことが期待されます。