「行動変容」を促す災害予測情報伝達:データ活用による住民向けリスクコミュニケーションの最適化
はじめに:予測の高度化と住民行動へのギャップ
近年、災害予測技術は飛躍的に進化し、様々な災害リスクについて、より詳細かつ早期に情報を提供できるようになってきています。しかし、これらの高度な予測情報が必ずしも住民一人ひとりの適切な避難行動や事前準備に結びついているとは限りません。予警報が発令されても避難しない「空振り」への懸念や、情報が多すぎて何から手をつけて良いか分からないといった声も聞かれます。
私たちは、「災害予測ウォッチ」を通じて、最新の予測技術が自治体防災の実務にいかに役立つかをご紹介してまいりました。本稿では、さらに一歩進んで、得られた予測データを、最終的な防災の目的である「住民の生命と財産を守る」ために、どのように効果的に活用し、住民の「行動変容」を促すリスクコミュニケーションに繋げていくか、その可能性と実践のポイントについて、自治体防災担当職員の皆様の視点から考察します。
なぜ予測データを住民向けリスクコミュニケーションに活かす必要があるのか
高度な災害予測データは、単に「いつ、どこで、何が起こりそうか」を示すだけでなく、そのリスクの具体的なレベルや影響範囲、時間的な猶予などをより精緻に示唆するものです。これらの情報を住民向けのリスクコミュニケーションに活用することで、以下のようなメリットが期待できます。
- リスクの「自分ごと化」促進: 予測データに基づいた具体的なシミュレーションや、個別の場所における影響予測を示すことで、「遠い未来」や「どこか他の場所」のリスクではなく、「自分や家族が住む場所で、いつ、どのような危険が迫るか」という切迫感を伴ってリスクを認識してもらいやすくなります。
- 行動への動機付け強化: なぜ避難が必要なのか、いつまでに行動すべきなのか、どのような準備が有効なのかといった、具体的な行動に直結する情報を、予測データの裏付けをもって伝えることで、住民の納得感や行動への意欲を高めることができます。
- 適切なタイミングでの情報提供: 予測データの時間的推移を利用して、リスクが高まる前に準備を促す情報、直前に避難を強く呼びかける情報など、フェーズに応じた適切なタイミングで情報を発信することが可能になります。
- 多様な住民層への対応: 予測データから得られる情報や分析結果を、高齢者、障がいのある方、外国人など、多様なニーズを持つ住民層に対して、それぞれに合わせた分かりやすい形で提供するための基礎情報とすることができます。
予測データをどう活用し、リスクコミュニケーションに繋げるか
予測データを住民向けのリスクコミュニケーションに効果的に活用するためには、いくつかのステップと工夫が必要です。
1. 予測データの種類と特性の理解
洪水浸水予測、地震による揺れやすさ・液状化リスク予測、土砂災害警戒情報、高潮到達時間予測など、様々な予測データがあります。それぞれのデータが示す内容(例:深さ、範囲、強度、到達時間)、精度、更新頻度、そして予測に含まれる不確実性(完全に言い当てることは難しいこと)を正確に理解することが第一歩です。
2. 住民に「伝わる」形への加工・可視化
専門的な予測データをそのまま公開しても、多くの住民には理解が困難です。自治体職員の皆様には、以下のような加工・可視化の工夫が求められます。
- 地図情報との連携: GISを活用し、予測される浸水範囲や揺れの強さを、地域の地図(住宅地図、航空写真など)に重ね合わせて表示することで、住民は自宅や職場、避難所の位置と関連付けてリスクを視覚的に把握できます。
- 具体的な影響の明示: 単なる数値や色分けだけでなく、「この場所では、膝の高さまで浸水する可能性があります」「この地域では、家具が倒れる危険性があります」といった、生活への具体的な影響を想像しやすい言葉で伝えることが重要です。
- 時間的な変化の表示: 予測される時間ごとのリスクの変化を動画やアニメーションなどで示すことで、いつリスクが最大になるのか、避難のためにどれくらいの時間があるのかを直感的に理解させることができます。
- 避難行動との連動: リスク予測情報に加えて、「どこへ避難すべきか(指定緊急避難場所)」「どのような経路が安全か(予測に基づいた安全な避難経路)」「いつまでに避難完了を目指すべきか」といった、具体的な避難行動に直結する情報をセットで提供します。
3. 情報伝達のチャネルとタイミングの最適化
加工・可視化した予測情報を、適切なチャネルで、適切なタイミングで発信することが重要です。
- 多様なチャネル活用: 防災無線、テレビ、ラジオといった既存メディアに加え、自治体ウェブサイト、SNS、防災アプリ、エリアメール、プッシュ通知、デジタルサイネージなど、住民が日常的に利用している多様なチャネルを組み合わせます。チャネルごとに情報の詳細度や表現方法を使い分けることも有効です。
- プッシュ型とプル型の組み合わせ: 警報級の危険が迫っている場合は、エリアメールなどのプッシュ型通知で確実に情報を届けます。一方、平時やリスクが低い段階では、ウェブサイトや防災アプリでの情報公開(プル型)を通じて、住民が自発的に情報を取得できる環境を整備します。
- 段階的な情報提供: リスクが高まるにつれて、より詳細で切迫度を高めた情報を段階的に発信します。「注意喚起」→「早めの避難準備」→「高齢者等避難」→「避難指示」といった国の避難情報の発令と連動させつつ、裏付けとなる予測データを分かりやすく示すことが、情報への信頼性を高め、行動を促します。
4. 「行動変容」を促すためのメッセージ設計
単に予測情報を伝えるだけでなく、住民の行動を促すためには、メッセージ設計も重要です。
- 分かりやすさと簡潔さ: 専門用語を避け、平易な言葉で、最も伝えたい核心を簡潔に伝えます。
- 具体的で個別化された情報: 可能であれば、居住地域ごとの詳細な予測や、取るべき具体的な行動(「〇〇小学校に避難してください」「2階より上に移動してください」など)を示します。
- 行動しないリスクの明示: 行動しないことによってどのような危険があるのかを具体的に示すことも、行動を促す上で有効な場合があります。ただし、過度に不安を煽る表現は避けるべきです。
- 信頼できる情報源の明示: 発信元が自治体であることを明確にし、情報の信頼性を高めます。気象台などの専門機関が発表する予測情報との連携も示します。
データ活用リスクコミュニケーション導入・運用上の考慮事項
予測データを活用したリスクコミュニケーション体制を整備・運用するには、いくつかの考慮事項があります。
- 必要なデータとシステムの整備: どのような予測データを活用するかを定め、それらのデータを継続的に取得・管理できる体制やシステム(例:GISシステム、情報配信プラットフォーム)が必要です。データ連携や情報集約の仕組みも重要となります。
- コスト: 予測データの利用契約、関連システムの導入・維持費用、情報発信にかかる費用などが発生します。導入効果や費用対効果を考慮した上で、段階的な整備や既存システムの活用も検討する必要があります。
- 必要な体制と人材育成: 予測データを理解し、住民向けに加工・発信できる人材が必要です。専門部署との連携や、職員向けのデータ活用・情報発信に関する研修も検討すべきです。
- 情報発信に関するルール整備: どの情報を、いつ、どのチャネルで、どのような表現で発信するかといった運用ルールやガイドラインを事前に定めておくことが、災害時の迅速かつ一貫した情報発信に繋がります。
- 効果測定と改善: 発信した情報がどの程度住民に届き、どの程度行動に繋がったのか(例:避難率、アンケート結果など)を評価し、情報発信の手法を継続的に改善していく視点も重要です。
自治体における応用事例(架空)
とある内陸部のA市では、近年の集中豪雨の増加を受け、河川氾濫リスク予測システムを導入しました。このシステムは、気象データや河川水位計の情報に加え、地形データ、土地利用データなどを統合し、時間ごとの浸水範囲と深さを詳細に予測します。A市では、この予測データを単に警戒レベル発令に留めるのではなく、以下のように活用しています。
- ウェブサイト・アプリでの地図表示: 市のウェブサイトと防災アプリに、予測される最大浸水深を色分けした地図を公開。郵便番号や住所を入力すると、自宅周辺の予測を確認できるようにしました。
- 個別リマインダー: 市民登録データと予測データを連携させ、個々の住民の居住地で予測される浸水深に応じて、避難準備情報発令時に「自宅周辺では〇〇cmの浸水が予測されています。〇〇小学校への避難をご検討ください」といった、よりパーソナルなメッセージをプッシュ通知で送信する仕組みを試行しています。
- 避難経路シミュレーション: 予測浸水範囲を避けられる避難経路をシステムで算出し、避難指示発令時に推奨経路を地図上で提示する機能を提供しています。
- 住民説明会での活用: ハザードマップ改訂時などに、予測システムのデモンストレーションを実施し、過去の経験則だけでなく、データに基づいたリスクがあることを住民に説明しています。
このような取り組みにより、A市では、予測情報の理解促進と、発災時の避難者数増加に一定の効果が見られ始めているとのことです。
まとめと今後の展望
災害予測技術の進化は、自治体防災において大きな可能性をもたらしています。しかし、その可能性を最大限に引き出すためには、得られた予測データを、住民一人ひとりの行動変容を促すためのリスクコミュニケーションに、いかに効果的に繋げていくかが鍵となります。
予測データの種類を理解し、分かりやすく加工・可視化する技術、多様なチャネルを使い分け、適切なタイミングで、行動を促すメッセージを設計する工夫。これらは、自治体職員の皆様が、今後の防災業務において習得・強化していくべき重要なスキルと言えます。
もちろん、データ活用にはコストや体制整備といったハードルも伴います。しかし、これらの取り組みは、住民の生命を守るという最も重要な目的に直結し、結果として災害による被害を軽減することに繋がります。他の自治体の事例も参考にしながら、自らの自治体で実現可能な範囲から、一歩ずつ取り組みを進めていくことが期待されます。災害予測ウォッチでは、今後も、このような実務に役立つ情報を提供してまいります。