地域特性を反映した詳細リスクシナリオ予測:自治体防災計画高度化への活用
はじめに:地域ごとの「もしも」を具体的に描く必要性
近年、多様化・激甚化する災害に対し、自治体の防災担当者の皆様は、地域の実情に即した、より実効性の高い防災計画の策定や見直しに日々尽力されていることと存じます。国や広域での大規模な予測データはもちろん重要ですが、いざ地域の住民の命と財産を守るためには、それぞれの地域の地形、人口構成、建物の種類、インフラの配置といった固有の特性を踏まえた、きめ細やかな「もしも」のシナリオ、すなわち詳細なリスクシナリオを描くことが不可欠です。
従来のハザードマップは特定の現象(例: 洪水、津波)による特定の時点での最大浸水深などを静的に示しますが、災害は時間とともに状況が変化し、複数の要因が複合的に影響します。どのような種類の災害が、いつ、どの地域で、どの程度の規模で発生し、それによって地域のどの機能が、どのくらいの期間、どのような影響を受けるのか。そして、それによって住民の避難行動や必要とされる支援がどのように変化するのか。このような動的な、地域固有のリスクシナリオを具体的に予測する技術への関心が高まっています。
本稿では、この「地域特性を反映した詳細リスクシナリオ予測」がどのようなもので、自治体の防災計画策定や日々の業務にどのように役立つのか、導入にあたって考慮すべき点などについて解説いたします。
詳細リスクシナリオ予測とは
詳細リスクシナリオ予測とは、特定の地域において想定される様々な災害(単独または複合)に対し、その発生メカニズム、影響範囲、被害の程度、進行速度などを、地域の地理的・社会的・経済的特性データと組み合わせて、より詳細かつ具体的にシミュレーション・分析する技術です。
例えば、単に「この地域は洪水リスクがある」だけでなく、「〇時間継続して〇mmの降雨があった場合、△地区の××通りの深さが〇cmになり、◇◇小学校周辺で孤立世帯が〇世帯発生する可能性がある。特に高齢者が多く住む□□団地では、避難開始から〇時間後に到達困難となる」といった形で、より具体的な被害状況や影響を時間軸とともに予測することを目的とします。
この予測には、以下のような多様なデータが活用されます。
- 地形・地盤データ: 標高、傾斜、地質、土地利用状況など。
- 建物データ: 構造、築年数、階数、用途(住宅、商業施設、避難所など)。
- 人口データ: 人口密度、年齢構成、昼夜間人口、要配慮者情報など。
- インフラデータ: 道路網、橋梁、鉄道、上下水道、電力、通信網、病院、避難所などの位置・機能情報。
- 過去の災害データ: 過去の被災状況、避難行動、被害額など。
- 地域社会・経済データ: 産業構造、事業所情報、コミュニティ情報など。
- 気象・観測データ: リアルタイムおよび予測される降雨量、河川水位、風速、震度など。
これらのデータを、GIS(地理情報システム)上での空間分析、物理シミュレーション(例: 流体解析)、統計分析、機械学習などの技術を用いて統合的に分析することで、より現実に近い、きめ細やかなリスクシナリオを生成することが可能になります。
自治体防災計画への具体的な活用
詳細リスクシナリオ予測から得られる情報は、自治体の防災計画や日々の実務において、多岐にわたる応用が期待できます。
- 地域防災計画の具体化・高度化: 想定されるシナリオに基づき、地域ごとの脆弱性や必要な対策を特定し、計画に反映できます。例えば、特定の降雨パターンで孤立リスクが高まる集落が判明した場合、その集落向けの早期避難勧告の基準設定や、避難支援体制の強化を計画に盛り込むことができます。
- 避難計画・避難誘導の最適化: 建物被害や道路寸断の予測に基づき、安全な避難ルートや避難場所の選択肢を事前に検討できます。また、災害の進行速度予測から、住民が安全に避難を完了するために必要な時間を算出し、適切な避難情報発令タイミングの検討に役立てられます。
- 訓練シナリオの作成: 詳細な被害想定に基づき、より現実的で実践的な防災訓練や図上訓練のシナリオを作成できます。特定の時間帯に特定の場所でどのような被害が発生するかを具体的に示すことで、参加者の危機意識を高め、取るべき行動を明確にする訓練が可能になります。
- リスクコミュニケーションの向上: 住民に対し、抽象的なリスク情報だけでなく、「あなたの住む地域では、このような状況になったら、このような影響が考えられます」といった、よりパーソナルで具体的な情報を伝えることが可能になります。これにより、住民自身の事前の備えや、いざという時の行動への意識向上を促す効果が期待できます。
- 事前対策の優先順位付け: 予測される被害の大きさや、対策に要するコストなどを比較検討することで、限られた予算の中で、どの地域やどの対策に優先的に取り組むべきか、根拠をもって判断する材料となります。
- 発災後の意思決定支援: あらかじめ多様なシナリオを予測しておくことで、実際に災害が発生した際に、現在の状況がどのシナリオに近いかを判断し、その後の展開を予測しながら、初動対応や応援要請、物資配備などの意思決定を迅速かつ的確に行うための参考にできます。
導入における考慮事項と課題
地域特性を反映した詳細リスクシナリオ予測技術の導入は、自治体防災の高度化に大きく貢献しますが、いくつかの考慮すべき点や課題が存在します。
- データの収集と整備: 詳細な分析には、前述のような多様な地域固有データが必要となります。これらのデータが網羅的に整備されているか、最新の状態に保たれているか、データの形式が分析に適しているかなどが重要な課題となります。部署間の連携によるデータ共有や、外部からのデータ購入・利用なども検討が必要になる場合があります。
- 技術的な専門性: 高度な分析ツールやシミュレーションモデルを活用するには、ある程度の技術的な専門知識が必要となります。内部での人材育成が難しい場合は、専門機関やコンサルタントへの業務委託、または操作が比較的容易なパッケージシステムの導入などが現実的な選択肢となります。
- コスト: システムの導入、データの整備・購入、専門人材の確保・育成、外部委託など、一定のコストが発生します。費用対効果を十分に検討し、段階的な導入や、他の自治体との連携によるコスト分担なども視野に入れる必要があるかもしれません。
- 予測の不確実性: どんなに高度な技術を用いても、災害予測には不確実性が伴います。予測結果を絶対的なものと捉えるのではなく、可能性のあるシナリオの一つとして理解し、複数のシナリオを検討することが重要です。また、予測の限界や不確実性について、関係者間で共通認識を持つ必要があります。
- 計画への反映と組織内での浸透: 予測結果を実際の防災計画に具体的に反映させ、関係部署や職員間でその内容を共有し、理解を深めるプロセスが不可欠です。せっかくの詳細な予測も、計画に活かされず、現場で活用されなければ意味がありません。
他自治体での取り組み事例(架空)
例えば、ある沿岸部の自治体では、津波浸水予測に加えて、地域ごとの建物の構造や人口構成、主要道路の標高などを組み合わせることで、特定の地震発生後、どの時間帯に、どの地域で、何棟の建物が損壊し、何人の住民が、どの避難ルートで、どの避難所に到達可能か、といった複数のシナリオを予測しました。これにより、従来のハザードマップだけでは見えにくかった、高齢者のみの世帯が多い地域での避難支援のボトルネックや、特定の避難所への避難者集中リスクなどが具体的に明らかになり、これらの課題に対応するための地域防災計画の見直しや、住民向けの個別避難計画策定支援の強化につながっています。
また、山間部のある自治体では、過去の気象データ、地形・地質データ、植生データなどを組み合わせ、特定の降雨条件下での土砂災害リスクを時間単位で予測するシステムを導入しました。これにより、危険性が高まる前に、地域を限定した、よりピンポイントでの避難情報発令基準を検討できるようになり、住民の早期避難促進と、避難対象エリア外の住民の不安軽減の両立を目指しています。
まとめ:詳細シナリオ予測で備える「次の一手」
地域特性を反映した詳細リスクシナリオ予測は、自治体防災において、過去の経験や一般的な想定だけでは捉えきれなかった、地域固有の潜在的なリスクや脆弱性を顕在化させる強力なツールとなり得ます。これにより、単にリスクを「知る」だけでなく、「いつ」「どこで」「何が」「どのように」起こりうるかを具体的にイメージし、それに対する最も効果的な「次の一手」を事前に検討・計画することが可能になります。
データの整備や技術の導入、コストといった課題は存在しますが、専門機関との連携や段階的な導入、他の自治体との情報交換などを通じて、これらの課題を克服し、詳細リスクシナリオ予測を活用した地域防災計画の高度化に取り組むことは、今後発生しうる様々な災害から地域と住民を守るために、極めて重要な取り組みと言えるでしょう。
本稿が、皆様の地域における詳細リスクシナリオ予測導入のご検討の一助となれば幸いです。