地下街・地下鉄駅浸水予測の最前線:自治体防災の実務への応用
地下空間の水害リスクと自治体防災の課題
近年の集中豪雨や大型台風の増加により、都市部における地下空間、特に地下街や地下鉄駅の浸水リスクが高まっています。これらの空間は多くの人が利用し、一旦浸水すると避難が困難になるだけでなく、経済活動や交通網に甚大な被害をもたらす可能性があります。自治体の防災担当職員の皆様にとっては、地上部だけでなく、このような複雑な地下空間のリスクをいかに予測し、迅速かつ的確な避難誘導や対応を行うかが喫緊の課題となっています。
本稿では、地下街・地下鉄駅における浸水予測技術の最前線をご紹介し、これらの技術が自治体防災の実務にどのように応用できるのか、また導入にあたって考慮すべき点について解説します。
地下空間浸水予測技術の概要
地下空間の浸水は、地上の浸水状況や地形、地下街・地下鉄駅の構造、出入り口の高さ、排水設備の能力など、多くの複雑な要素が絡み合って発生します。地下空間浸水予測技術は、これらの要素をコンピュータ上でモデル化し、降雨データなどに基づいて浸水範囲や深度、浸水にかかる時間をシミュレーションするものです。
主な技術としては、以下のようなアプローチがあります。
- 物理モデルベースのシミュレーション: 地上の雨水流入経路から地下への浸入、地下構造内の水の流れを物理法則に基づいて詳細に計算する手法です。地下街や駅構内の詳細な3D構造データ、地上の地形・建物データ、排水ポンプの能力などのデータが必要となります。
- データ駆動型アプローチ: 過去の浸水事例データやセンサーによる観測データなどを機械学習などの手法で分析し、パターンを学習して予測を行うアプローチです。リアルタイムの降雨量や水位データと組み合わせることで、迅速な予測が可能になる場合があります。
- IoTセンサーによるリアルタイム監視: 地下空間の各所に水位計や雨量計、監視カメラなどを設置し、リアルタイムの状況を把握する手法です。予測技術と組み合わせることで、予測の精度向上や、発災時の正確な状況把握に役立ちます。
これらの技術は、単独で用いられるだけでなく、組み合わせて活用されるケースが増えています。特に、詳細なシミュレーションモデルとリアルタイムの観測データを連携させることで、予測の精度と即時性を高めることが期待されています。
自治体防災における地下空間浸水予測技術の応用とメリット
地下空間浸水予測技術は、自治体の防災実務に多岐にわたるメリットをもたらします。
- 避難計画の高度化:
- リスクの高い出入り口や避難経路の特定。
- 避難にかかる時間のシミュレーションに基づく、現実的な避難計画の策定。
- 浸水速度を踏まえた避難開始判断基準の設定。
- 要配慮者(高齢者、障がい者など)の避難経路や支援計画の検討。
- リアルタイム避難誘導・情報提供:
- 予測情報やリアルタイムのセンサーデータを基にした、地下空間内のデジタルサイネージやアプリを通じた避難指示・誘導情報の提供。
- 利用者の現在地と予測状況を踏まえた最適な避難経路の提示。
- 地上の安全な避難場所への誘導。
- 排水設備運用の最適化:
- 予測される浸水規模に応じて、排水ポンプの稼働計画を事前に検討・調整。
- ポンプ能力を超える可能性がある箇所の特定と対策検討。
- BCP(業務継続計画)への活用:
- 地下空間を利用する事業者のBCP策定支援。
- 自治体自身の業務継続(庁舎の一部が地下にある場合など)への影響評価と対策検討。
- リスクコミュニケーション:
- 浸水シミュレーション結果を分かりやすい形で住民や事業者に示し、リスクへの理解を促進。
- ハザードマップに地下空間のリスク情報を付加。
これらの応用により、地下空間を利用する人々の安全を確保し、被害を最小限に抑えるための、より実効性のある対策を講じることが可能になります。
導入における考慮事項と課題
地下空間浸水予測技術の導入を検討する際には、いくつかの考慮事項があります。
- データ整備:
- 地下街や地下鉄駅の詳細な構造データ(図面、高低差、出入り口、換気口、排水設備など)の取得とデジタル化が必要です。これは関係事業者(鉄道会社、地下街管理者など)との連携が不可欠です。
- 地上の高精度な地形・建物データや、過去の浸水実績データも重要です。
- シミュレーションモデルの構築・維持:
- 地下空間の複雑な構造を正確にモデル化するには専門的な知識が必要です。モデルの構築後も、構造変更などに応じて定期的な更新が求められます。
- リアルタイムデータ収集体制:
- 水位計や雨量計などのIoTセンサーを設置する場合、初期費用に加え、通信環境の整備、電源確保、維持管理(点検、電池交換など)のコストと体制が必要です。
- 関係機関との連携:
- 鉄道事業者、地下街管理者、テナント事業者など、地下空間を管理・利用する多様な主体との密な連携が不可欠です。情報共有体制の構築や、緊急時の対応ルールの調整が必要になります。
- コスト:
- システム構築費用(ソフトウェア、ハードウェア)、データ整備費用、センサー設置費用、運用・維持管理費用などが発生します。クラウドベースのサービスを利用することで、初期費用を抑えられる場合もありますが、月額・年額の利用料がかかります。
- 職員の習熟と運用体制:
- システムの操作方法、予測結果の解釈、関係機関への伝達など、職員のトレーニングが必要です。また、予測システムを実際に防災対応に活かすための、体制整備や訓練が重要になります。
応用事例(例)
例えば、大規模な地下街と複数の地下鉄路線が交差する都市部のある自治体では、以下のような取り組みが進められています(架空の事例を含む)。
- 詳細な構造データの収集: 鉄道会社や地下街管理会社と協定を結び、設計図や改修情報を共有してもらい、高精度な3Dモデルデータを構築しました。
- シミュレーションモデルの構築: 専門事業者と協力し、地上からの雨水流入、地下構造内の水の流れ、排水ポンプ能力を考慮した浸水シミュレーションモデルを開発しました。これにより、「特定の降雨量の場合、どの出入り口から浸水が始まり、何分でどこまで水が到達するか」といった予測が可能になりました。
- リスク情報の共有と避難計画への反映: シミュレーション結果を基に、地下街利用者向けのリスクマップを作成し、最も避難に時間がかかる箇所や、安全な避難経路・避難場所を特定しました。これらの情報は、防災計画や地下街の避難マニュアルに反映されています。
- リアルタイム監視の検討: 主要な出入り口付近や低地に水位センサー、地下鉄駅の換気口付近に流量センサーの設置を検討中です。これにより、予測モデルと実際の状況を照合し、より正確でタイムリーな情報提供を目指しています。
- 関係者訓練の実施: シミュレーション結果やセンサーデータを活用した避難誘導訓練を、自治体職員、鉄道事業者、地下街管理者合同で定期的に実施しています。
このような取り組みは、多くの関係者との連携や専門的な技術の導入が必要ですが、地下空間の安全確保という重要な課題に対し、予測技術が有効な手段となりうることを示しています。
まとめと今後の展望
地下街・地下鉄駅の浸水リスク予測技術は、都市部自治体の水害対策において、避難計画策定、リアルタイムの避難誘導、関係者連携といった実務に大きく貢献する可能性を秘めています。導入には、データ整備、モデル構築、関係機関との連携、コストなどの課題がありますが、これらの課題に対し、クラウドサービスの活用や、既存のGISデータとの連携、段階的な導入といったアプローチが考えられます。
今後、技術の進展により予測精度がさらに向上し、よりリアルタイム性の高い情報提供が可能になることが期待されます。自治体においては、自らの管轄する地下空間のリスク特性を踏まえ、利用可能な技術や予算、連携可能な関係者を総合的に評価し、実効性のある対策を検討していくことが重要です。